【セミナーレポート】第2期を振り返って

「深夜遅くまで残業続きだった管理職が、過労がたたってか、ステージ4のガンで入院しました。しかし、治療の末復帰できました。そして久しぶりに出社したその日、ぼろぼろの状態で現場の肉体労働を手伝っていたそうです。

社員が、その話を本社の朝礼で声高に紹介したところ、役員は『美談だ』とばかりにうんうんうなずいていたんですね。

ところが、朝礼後、新入社員の女性が僕をつかまえて『さっきの話はどういうことなのか。あれを美談とする会社はありえない』と詰め寄られ、説得するのに苦労しました」

―― セミナーの中で、実際に話された内容です。あなたはこの話を聞いて、どう思うでしょうか?

 

2014年11月に立ち上げた弊社主催「組織セミナー」は、2017年9月で第2期が終了。現在は、第3期を開催中です。

第2期は次の12個のテーマに沿って進めました。それぞれ、簡単なコメントをつけて振り返りたいと思います。

 

①組織とは?~個人の価値観

「そこにあるのは誰もがわかっているけど、触ることも見ることもできなくて、みんなに重くのしかかっているもの、何だ?」

――とんちのような話ですが、「組織」とは例えるなら「重たい空気」のような存在かもしれません。

セミナーの初回では「組織とは何か」について考えます。ただし、大まかな話から入るのではなく、組織を構成する「人=個人」に焦点を当てるところから始めます。

ここでは、アメリカの作家ル=グウィン著『オメラスの人々』を題材に話を深めました。この中で、参加メンバーは各個人の意見がどのようにお互いに影響を与え、相違点、一致する点を見出していくか、そのプロセスを経験します。

その流れは、個人間で働くダイナミクス(力学)によって動かされる組織の実態にきわめて近いと考えています。また、自らの判断基準=価値観を見つめる時間にもなります。

私の個人的な価値観をご紹介すると、組織には「破壊的機能」が必要だと考えています。前例や固定観念、時代にそぐわない慣習、考え方をぶち壊し、新しく「創造」、そして「維持」する。人の社会はそれを繰り返して、良くなったり悪くなったりを続けています(この機能は自然界に備えられているものに近いように思います)。企業では「改革」と呼ばれることが多いかもしれませんが、ひとつの自浄作用として「破壊」を持つかどうかは大きなポイントになります。

実際、セミナーの中で「すべてを破壊して無に帰してしまった方がいい」というコメントがメンバーから出ました(そういう考えを煽っている過激思想の集団ではありませんのでご心配なきよう。念のため)。これも一つの価値観であるわけで、それを排除するとか善悪判断するとかそういうものではありません。「今の状態で、より良い方向を探る」といった意見も当然に出てきました。

大切なのは、組織が「多様な価値観」を抱えた存在なのだと再認識することではないでしょうか。冒頭の「ガンになった管理職」の話も、人の核心的な価値観に触れる好例だと考えられます。

 

②個人の価値観・感情

第2回は、私自身のキャリアを題材に「個人の価値観」「感情」について考えました。

人の一生を振り返ったとき、決断を迫られる岐路に立つことがいくつか出てきます。また、自分では「この決断しかないからそうした」と思うものも、他人から見れば「なぜ?別の選択肢の方が良かったのでは?」と言われることがあります。

その決断につながる背景には、複雑な事情やしがらみといった「周囲との関係」もあれば、自分がその時に「大切にしていたもの」や「気持ちの揺れ動き」があり、人の意思決定に大きな影響を与えています。

組織における絶え間ない動きとバランスの中で、人がどのように考え、感じて、どう判断して行動するか、それを自分自身の身に置き換えながら考えることで、個人に対する理解が深まったのではないかと思います。

 

③モチベーション

「部下がやる気になってくれない」

――あらゆる企業に通じる「永遠のテーマ」の一つが、「モチベーション(動機づけ)」です。

この回では、「JWP女子プロレス(JWP)」を運営するコマンド・ボリショイさんのケースを取りあげました(単純に内容が面白かったのが理由です)。話を深める中で、「何でもモチベーションで片付けていいのか?それ以外にも考えることはあるのでは?」といった根本的な話に及んだところが印象的でした。

終了後に、私がメンバー宛に送ったメッセージを引用します。

昨日はありがとうございました。
昨日もまた非常に有意義な時間を過ごすことができました。

仕事に対する僕たちの態度や姿勢、組織に対する思いなどを考えると、「モチベーション(動機づけ)」という言葉ですべてを片づけることはできないということを改めて思いました。

自分のモチベーションを作為的に保つ・上げる、ということはできても、他人に良い影響を与えることは難しい。しかし、自分のモチベーションの高さが周囲に良い影響を与えたり、他人から自分が良い影響を受けたりする可能性についてはケースから十分にありえると思います。

また、一方でそういった短期的なものとは別に、組織に求めるものがはっきりしている人にとっては、長期的にモチベーションが持続する要因が良い影響を与えている。あるいは、モチベーションとは関係なく淡々と仕事をしている人もいるということは、面白い学びでした。

人間はなんて複雑なんでしょうね。いや、かえって、「みんなちがって、みんないい」というどこかで見たコピーのように考えれば、案外シンプルなのかもしれない。

自分のことを振り返ってみると、実はどちらかというと淡々とやってることの方が多く、「文句や愚痴があるなら、自分で変えればいいやん」と、そこでゼロからイチに勝手に踏み出す。そこはモチベーションというよりは、ひとつのクセ。例外的に、干渉のなさや少ない指示のもとで、仕事を全部任されるとピコーンとフラグが立つかも。
ただし、もちろん組織のガンに出くわしたり、邪魔が入ったり、いわれのない批判を受けると、下がります。そういうのは短期的な波があるのでしょう。

「自分の表現」というキーワードが出てきましたが、プロレスの話でもあったように、僕も主催イベントをやると死ぬほど疲れてもうやりたくなくなるんですけど、ちょっとした一言や拍手を受けた情景を思い出すと、「しゃあない、またやるか」といったところからスタートします。

モチベーションは人生の段階や自分の変化によって変わる、ということもうなづけました。僕がとらえたキーワードを列挙しておきます。

自分を表現できる
選択肢の多少(これしかない、か、他にもあるのか)
プライド
使命感
極限状態
背水の陣
仲間の存在
必要とされること
周囲や顧客からの直接のフィードバック
やりがい
快感
身内意識(自分がどうにかしたい)
組織への愛着
成長の段階(視野の変化)
軸足
家族-子ども
自分が成長できるかどうか
仕事とモチベーションを切り離す
仕事外・組織外にモチベーションの力点を置く
組織に依存しない
坂本龍馬
信念
創造(つくりあげること)
社外の人に自分が社内でやっていることを説明できるようにしたい

 

④意思決定

個人も組織も、ときに「非合理的」と思われる意思決定を行うことがあります。いえ、むしろ「合理的な意思決定」をしていることはまれなのかもしれません。

ここでは、個人と集団の意思決定について参加メンバー自身のケースとテキストを参考に話を進めました。

「声の大きい人」は色々な組織にいます。本人にはそのつもりがなくても、他人を威圧したり、意見を押さえ込んだり、そういった勢いを持つ人がいて、異質な意見やアイデアが出にくくなってしまう。声の大きな人が問題なのではなく、その場にいる集団が第一声に流されてしまい、意思決定に影響を与える。それを許容している仕組みが問題だと考えられます。

したがって、個人としては優秀な能力を持つ人たちでも、集団に化すと途端に優秀さがどこかへ隠れてしまい、集団として合理的な意思決定が下せなくなってしまう。それが組織の怖さでもあり、面白さではないでしょうか。

集団における意思決定で最も注意すべきことは、「グループシンク」と「グループシフト」です。メンバー宛の私のメッセージで触れていますので、こちらをご参照ください。

昨日はありがとうございました。

集団の意思決定をテーマに
・会議体のあり方や推進役のリーダーシップスタイルがどうあるべきか
・レベルやキャラクターの見きわめによって個と集団をどのように使い分けるか
・個と集団に対してどういったコミニュケーションを取るか
といった話をみなさんのケースを元に話をしました。

テキストからは
・人間が必ず持っていると言ってよいバイアスやエラーについて
・集団に働く力学として「グループシンク(集団浅慮)」と「グループシフト(集団傾向)」
などをご紹介しました。

グループシンク(groupthink)は、会議で影響力の強い人物の意向を周りが気にすることや、多数派の意見が空気を支配することで、反対意見が出なかったり、少数派の意見が無視されたりして選択肢が狭まり、合意を意図するあまりかえって質の低い意思決定がなされることを言います。

グループシフト(groupshift)は、会議の最初に出た意見がもし保守的だった場合に、その意見に引っ張られて会議の方向性がだんだんとそちらにエスカレートして、異なる立場の意見が抑えられる現象を指します。

そして、セミナーの場でもグループシンクとグループシフトがどのように生じるかを実際に目にしました。あえてやってたわけではなかったのですが、ふと気づいたらそうなってましたね。

民主主義が必ずしも優秀ではない理由が、ここにあります。卓越した見識と力量によって高い確率で意思決定をできる独裁者が、民主主義よりも優れた政治を行った例が歴史には多々あります。しかし、どれほど優秀な人も年齢を重ねれば衰えるし、亡くなれば同じ人は存在しません。そこが独裁制の難しさであり、人々を搾取し虐げる苛政の例も多々あり、民主制がまだ「マシ」であると考えられるのでしょうか。

この話は企業に通じるもので、マネジメント層が集団に生じる力学を把握しておくべきです。

 

⑤チーム

2017年のプロ野球日本シリーズでは、ソフトバンクホークスが横浜DeNAベイスターズに迫られながらも、2年ぶり8度目の優勝を果たしました。ホークスのように、逆境に負けず、周りの期待に応えるような成果を出す強いチームを作りたい――(できればコストをかけず)――という願いを、企業経営者が持つことがあるかもしれません。

しかし、「チーム」とは名ばかりで、実際に思うような機能を果たさないケースも世の中には見られます。チームとは何か、どういった有効な手法があるか、そういった内容をこの回では学びました。

私が話題として挙げたのが「ローパフォーマー(低業績者、仕事ぶりが振るわない人)」の扱いについてです。チームにそのような人がいた場合、どうするのか。

その中で、ある管理職の方が「モチベーションが低下していたローパーフォーマーのやる気を持ち直させ、管理職にまで引き上げた」という話が出ました。その具体的な様子について、参加メンバー本人の目撃と自身の体験によれば「人事も目をつけて警告するほどのパワハラ指導ぶりだった」と。

しかしそのおかげで、周りからは完全に見放されていた40代手前の方が飛躍的成長を遂げた。昭和をほうふつとさせる体育会系的な、単刀直入、率直な詰め方。賛否両論あるかもしれないが、その裏に「愛情があるかないか」ということがカギだったということです。

その他、参加メンバーが指摘したローパーフォーマーの三大特徴
「隠す」
「強がる」
「偽る」
が、ヒットしました。このような行動習慣がチーム内で見られると、場合によってはチームから外す、コーチングを行うなど、早急な対策が必要と思われます。

その他、参加メンバーから出されたローパフォーマーに対する対応策は
「一対一で話し合う」
「ゲームのルールを変える」
「役割(フィールド)を変える」
などが挙げられ、「足りていないものを満たす」という現代的で穏和かつ協調的なアプローチとして考えられますが、「単なるいい人で終わってしまうのでは」という意見もありました。

そもそも、「チームプレーに向かない人」もいるのは間違いないわけで、やはり個人の特性をしっかりと把握した上での対策が必要です。

 

⑥コミュニケーション

コミュニケーションという言葉が使われてから、かなりの長い時間が経つにもかかわらず、未だに組織では「コミュニケーション能力を求めています」とか「あの上司はコミュ障」などのフレーズが使われるのを見ていると、こちらも組織の永遠のテーマなのでしょうか。

一方で、「では、コミュニケーションとは何なのか?」と尋ねると、明確な答えが返ってくることは少なく、何となくのイメージで語られることが多いのも特徴ではないかと思います。

「コミュニケーション」とは、端的に言えば「分かち合う」「共にする」ということであり、Aさんが心のうちに持つイメージを、他人であるBさんに完全に伝えられたら、コミュニケーションが成立したと言えます。その方法は「話す」「書く」「ジェスチャー」「目くばせ」「表情」「電子通信」「動画」など、何でも構いません。

コミュニケーションを考える上で重要なポイントが「ノイズ」の存在です。個人間のコミュニケーションでは、「声が小さい」「伝えたいこととは異なる表現をしてしまう」「ITツールが使えない」。組織レベルでは「物理的な距離がある」「時間差がある」「伝えるための時間が少なすぎる」など、コミュニケーションを阻害する要因が様々に存在します。

特に、日本では「文化」の存在が大きいと、メンバーからの意見がありました。一時期「KY=空気読めない or 空気読め」という言葉が流行り、多くの人に受け入れられた現実を踏まえると、組織における「空気」は色濃く人々を覆っているのかもしれません。

それによって「波風を立てない」「物事を速く進める」というメリットもあれば、「思っていることを言えない」「少数意見が抑圧される」というデメリットもあり、日本の組織においては「空気」こそが最大のノイズかもしれません。

 

⑦リーダーシップ

モチベーション、コミュニケーションと並んで組織の最大のテーマとされるのが「リーダーシップ」です。

しかし、コミュニケーションと同じく、「リーダーシップとは?」が本質的に語られることは少なく、書籍やネット記事の多くが「マネジメントとの混同」の上にリーダーシップについて言及している現実を垣間見ると、暗い気持ちになる一方で、「八百万の神」を受容する心の広い日本人の美質にも考えが及びます。

それはさておき、リーダーシップとは「目標達成のために周囲に影響を与える能力」です。他者への働きかけですので、実はコミュニケーションのスキルの一種と捉えることができます。したがって、地位や肩書に関係なく誰でもリーダーシップを発揮することができます。そもそも、コミュニケーションで何でも解決するには限界があり、組織の課題や難題をすべてリーダーシップで片付けるのは無理があります。したがって、「マネジメント=組織のコントロール・管理」とは一線を画す方が、わかりやすくなります。

この回では、どのような「リーダーシップ・スタイル」があるか参加メンバーからコメントをもらいました。
「昭和型」
「ルフィ型(『ワンピース』主人公)」
「タヌキ」
「悪魔的」
「メシア(救済する)型」
などについて言及され、日本ならでは?の「社畜型(滅私奉公・根回し優先)」も挙げられました。

その後、「EQ(心の知能指数)」がリーダーシップに大きな影響を与えることをご紹介しました。また、周囲にプラスの影響を与える方法として、「承認」にも言及しました。「承認欲求」については、最近になって「アドラー心理学」が世間に紹介されたことで広まりつつあり、重要なキーワードであると思います。

私個人としては「他人から認められる前に、自分が自分を認められるかどうか」が、自分のリーダーシップへの問いかけになると考えています。

 

⑧社内政治

組織内の力学を分析・把握する上で、重要な概念が「社内政治」です。

組織は「公式の組織図」や「肩書」によって成り立っている形式的な存在ではなく、「非公式の人間関係によるネットワーク」が大部分を占める有機的な存在です(「派閥」は組織図には明確に表れません)。その意味で、複雑な相互の影響関係を体内に備えている、生き物の身体と似ていると思います。

社内政治は「力」を行使して、「自分または自部門の利益」を確保するために、非公式な働きかけを行う活動を指します。この点から、リーダーシップは「自己の利益」を実現するために使われるわけではないので、一緒にはできません。

社内政治の強さの度合いは、組織によって様々です。例えば、予算確保、昇進・昇給、賞与、評価などは、社内政治が働きやすい場面です。また、社内政治に直面したときに個人がどのような反応を起こすかは、大きな問題です。

社内政治を考える上でのポイントは、「上が社内政治をやると、下もそれに倣う」ということです。みなさんの組織は、何もかもが筋道どおり運営されているでしょうか?

※ 社内政治のキーワード

 

⑨コンフリクト

「対立」「摩擦」を意味するコンフリクト。「空気」を重視する日本では敬遠されがちな言葉かもしれませんが、組織に改革や改善をもたらすには必須のキーワードです。

対立や摩擦といっても、人間関係の悪化につながるものは組織にとってマイナスですが、「タスク(仕事)」に焦点を当てると生産的な効果をもたらします。

つまり、コンフリクトには「良いコンフリクト」と「悪いコンフリクト」があって、組織をプラスの方向に持っていくためのコンフリクトをいかに引き起こすか、それが重要であると思います。

私個人としては、組織をめぐるテーマの中でも気に入っているのが「コンフリクト」です。もう少し若いころは、コンフリクトという概念を知らなかったため数多く失敗をしたこともありますが、タスク(仕事)が進捗する際にカギとなっていたのはこれだったと気付いてからは、良いコンフリクトを起こせることが一つの強みにつながっています。

参加メンバーの中で「ミーティングで延々と1時間以上叱り続ける、一方的に話し続ける人(プロジェクト責任者)がいて困っている」という話が出てきました。生産性や個人の責任者としての資質も問題ですが、もう少し考えてみると、世の中にはそういったタイプの人が大多数ではないにしても、「必ず存在する」という事実が重要であると思います。

コンフリクトはこのような場面にこそ役に立つ概念ですが、メンバーとの話の中で「コンフリクトをいかに受け入れられる基礎をつくるか」がカギになりました。

「沈黙は金なり、雄弁は銀なり」という言葉があります。先ほどの延々と叱る話し手に向かって言いたいところですが、聴き手にとっては、これが「逆もまた真なり」ではないかと思います。

つまり、話す方は「相手が黙っているから話し続ける」のではないかと想像できます。聴き手が雄弁になれば、少なくとも相手が雄弁になることはない。「それが難しいから困っている」という声も聞こえそうですが、一方的なコミュニケーションは、コミュニケーションとは言えません。

私も、延々と話す立場も、やかましく言われる立場も経験がありますが、私はある若手に対して怒り続けてしまったことは今も思い出します。しかし、もっと、他にやりようがあったのではないかと思うわけです。

話す方は、沈黙に耐えられなかったり、話が途切れることは弱みだと思っていたりすると、ますます悪循環になるのではないでしょうか。

その連鎖を断ち切るには、相手がひととおり話して間ができたときに、「~ことですよね?」と相手の伝えたいことを確認したり、「そういう風にお考えなんですね」とか、ちょっとしたくさびが必要なのではないかと思います。そこから反撃(?)する。

コミュニケーション基盤が一方向しかない人は、正直、面倒です。感情的になるとなおさらです。そして、このことからふと思い付いた単語が「コミュニケーション・ケア」です。組織や周りの個人に害を与えるコミュニケーションしかできない人には、必要ではないでしょうか。コンフリクトは、その一助になると思います。

コンフリクトのキーワード

 

⑩組織文化

「郷に入っては郷に従え」
「ローマでは、ローマ人がするようにせよ(When in Rome, do as Romans do.)」

組織では「そうするのが当たり前」「書かれてないけど、これをやると評価に値する」とされる暗黙ルールが存在します。始めからあるわけではなく、組織が時間と一緒に育むものです。組織が持つ性格や推奨される意味付け、自律的な反応、語り継がれるエピソード、役員にだけ与えられる高級車…

組織文化が強力で、所属するメンバーが広く・強く信奉している組織は、ある意味で「カルト的」です。組織が掲げ、価値を置いている見方に疑いがなく、むしろ積極的に再現しようと努めます。このとき、メンバーの離転職率は低くなり、良い業績を出せる可能性が高くなります。つまり、組織文化が強いことは、組織にも個人にも、有益であるわけです。

一方で、強い文化は「諸刃の剣」でもあります。変化が迫られる場合に、根強い組織文化が抵抗の源となって容易には「変われない」という反応をメンバー間に生み出します。

また、組織文化を考える上で重要なキーワードが「精神性」です。精神性を備えた組織は、個人の内面性を重視し、充実させる取り組みをします。

昨年から政府主導で始まった「働き方改革」は、単純に労働時間の問題だけではなく「ワークライフバランス」といった人々の生活スタイルにも影響を与える議論や取り組みが成されました。

しかし、この動きの側面には「パワハラ」や「セクハラ」など、人の内面を踏みにじる言動・行為を非難する向きがあったことを忘れてはなりません。

組織に潜む「誰もが疑わない自明のルール・価値観」を、「精神性」という観点から見直すべき時代が来たように思います。みなさんの組織には、良い文化があるでしょうか?

なお、この回から参加メンバーのNさんによる「セミナーレポート」が自主的に発表されるようになりました(感謝)。併せてこちらもご参照ください。

組織文化のキーワード

 

⑪組織変革

セミナーの第1回から第10回まで、「個人」から「組織」へと段階を変えて焦点を当ててきました。その最後となる第11回では、「どうなれば組織は変わるのか?」または「どうすれば組織を変えられるのか?」がテーマでした。

時代とともに環境や科学技術が目まぐるしく変わる中、多くの組織で「変わる」ことが求められています。「組織が変わる」とは、その中にいる「個人が変わる」ことと同じ意味だと思います。

では、どうすれば「人はどうすれば動く=変わるのか」「なぜ変化に人は抵抗するのか」について、参加メンバーで話をしてもらいました。

そこで出されたキーワードは次のようなものがありました。

「モチベーション」
「愛」
「強迫観念」
「楽しさ」
「大義名分(きれいごと)」
「評価・報酬」
「世代間のギャップを埋める人の存在」

酸いも甘いも噛み分けるような話がされ、話は「相違をどのように認め合うか」というテーマに発展しました。相手の考え方や価値観についての「違い」をまず認めなければ、人を動かしたり、変えたりするために影響力を与えるのは難しいことが理由です。

また、変化の中で「中間管理職の果たすべき役割」や「相違を持つ人たちをつなげる人」についても詳しく話がなされました。

組織が変化を遂げるために、一方的なコミュニケーションでは多くの場合うまく行かず、用意周到、緻密に計画を立てて反応を確かめながら進める必要があります。その計画を立てるには、やはり個人・集団・組織への理解を土台にして、各レベルへの個別アプローチが欠かせません。

Nさん「セミナーレポート」

組織変革のキーワード

 

⑫キャリア

第11回「組織変革」で見たように、「最後は個人に還る」ことが組織を知る上での第一歩になります。様々な概念や考え方を学んだ後に「結局、自分はどうするのか?」が重要な問いかけとなります。

そこで、番外編として「個人のキャリア」を設定し、テキストで概念を紹介してキャリアをめぐる様々な論点について、参加メンバーに意見を出してもらいました。

キャリアの話は、「個人の幸せ」と「組織要求」、そしてその狭間に存在する「現実」の問題が中心となります。

例えば、女性にとって「産休・育休・時短勤務」が容易に取れることは、満足感につながるかもしれません。しかし、組織から要求されるものが高い場合、復帰後に育児をしながら期待に応えていくことは困難な場合がほとんどです。そして、結局その女性は組織においてぐるぐると同じキャリアを回り続ける「キャリアトラック」にはまってしまう。

男性にしても、若いころは将来を望まれながらも、成長のスピードが止まり、思うように成果を出せなくなり、「キャリア中期の危機」に陥ってしまうケースが多く見られます。

男女差だけの話ではなく、学歴差や「良い上司に出会えたかどうか」などの要素もキャリアに大きな影響を与えます。

人は常に自分の思いと組織からの思いの間を揺れ動き、翻弄されてしまう…一つの対処法として「組織の重力から離れる」ことは重要かもしれません。ポイントは「自分だけで完結しない」ということです。

時代は「副業」「複業」「パラレルキャリア」など、これまでにない働き方を積極的に勧めるような社会に変わりつつあります。もちろんまだまだの段階ですが、マルチに働くには「他者の支援」が必要です。

「キャリアの健全な発達」においても、他人からの助けを得ることは非常に重要であることが研究的に証明されていて、親しい友人や知り合いを頼ることを私自身があらゆる人に勧めています。

「外の世界」を知り、「多様な人たちの働き方」を知ることで、組織が放つ重力から少しでも離れることができると思います。私がここで言いたいのは、「組織の価値観や考え方が全てではない」という観点です。

人は、世界を「見たいように見ている」のではなく、社会や組織、他人にが作ったフィルターを通して、いつの間にか「見せたいように見させられている」という現実を認識しなければなりません。

Nさん「セミナーレポート」

キャリアのキーワード

 

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」

――日本には、後半のくだりが後付けされたことわざがあります。

しかし、空と海、そして陸の広さと豊かさを知っている鳥の生き方もあります。どちらを良しとするか、それはその人の価値観によるのでしょうか。

(以上、弊社代表取締役社長・池田治彦)

【セミナーレポート】2017年9月「キャリア」

※下記の文章は、弊社主催「組織勉強会」の参加メンバーによる自主的なレポートです。文言等は修正せず、そのまま記載しております。

組織勉強会レポート

■日 時:平成29年9月27日(水)19時15分~21時15分@福岡市内会議室
■テーマ:「キャリア」
■参加者:異業種から7名

 

第1節:「現代におけるキャリア形成に関して」

本日のお題は「キャリア」である。

多くの方は仕事の経験や経歴といった「職歴」をご想像されるかと思う。

無論間違いではない。だが、今回の「キャリア」を考える上で、念頭に置くべきだと感じたことが多々ある。

「キャリア」とは「書き直しのきく紙に書くもの」ではなく、「石に刻むべき人生の刻印」なのだという認識。そして、「キャリア」がいかに自分の人生や、生活・仕事環境に影響をもたらすかという点。

以下、キャリアに関する考え方の、現代的な変化とそれに付随して出てきた気になるキーワードを簡略して記載する。

①キャリアの担い手の役割変更

20世紀のキャリア形成は簡単に言うと、「組織が責任を持って人を育てていた組織主体型のキャリア形成」が一般的であった。

しかし、社会や経済の不確実性が高まる中で、組織主体型のキャリア形成は限界を迎え、個人が自分自身のキャリア形成を一手に担わなければいけない時代、「自己管理型のキャリア形成」が求められる時代に変化を遂げた。

②理想:組織と個人による双方向のキャリア形成

「自己管理型のキャリア形成」が求められていると言ったが、組織にあって、個人の努力だけに頼ったキャリア形成するはいささか非効率的な話。組織主体型とは行かなくとも、キャリア形成を促進する支援的役割を担うことは出来る。

双方の具体的なアプローチを簡単に列挙する。

【組織】

・組織目標や未来戦略を明確に提示し、個人の将来像の計画を促す。

・新しい業務機会を提供し、成長機会をつくりだす。

・資格支援などの奨学金制度の設置。

・職場外研修への参加提供、キャリアセンター等の設置。

【個人】

・自己分析(内省分析、組織内外から自己評価のフィードバック等)

・人脈の形成。組織内外の両方で。

・需要の高い特定スキルの習得。(他の組織で即戦力とならない極端な使用環境を求められるものは除く)

・スペシャリスト、ゼネラリストとしての能力をバランスよく身につける。

・自分の仕事(功績)の棚卸を定期的に行う。

・選択肢の拡張。(最善を望み、最悪に備える)

個人がキャリア形成を行い、かつ、組織によるキャリア支援が行われれば最も望ましいが、個人はまだしも組織の支援は現状として難しいように思う。

なぜなら、会社規模や財政状況もさることながら、人材を「単なる労働力」としか捉えていない側面が現在も厳然として存在している点が大きいのではないかと考えられるからだ。

現実ベースで考えると、人的資源だ、人的資本だと、環境を向上させようとする働きかけや風潮は少なからずあるものの、数多ある営利組織ではその優先順位は高いとは言えないというのが実情かもしれない。

 

第2節:「キャリアと組織」

【個人キャリアと組織キャリア】

これは個人的な観点・解釈ではあるが、形成する「キャリア」には本質的に次の2種類のものが存在していると考えられる。

「個人キャリア」・・・個人的な知識や経験、技術の習得の積み重ねによるもの。他の社会や組織において通用する汎用性が高く、安定した影響力を持つ。

「組織キャリア」・・・所属組織のみに通用するように培われたもの。汎用性が非常に低く、偏った影響力を持つ。長期形成が前提。

日本は長期にわたり組織に所属するケースが今まで非常に多くみられていた歴史があり、「終身雇用」が美徳とされる時代があった。そのような状況下、「組織キャリアへの信頼」は諸外国より根強く存在していると考えられる。したがって、「組織キャリア形成」の重要度は極めて高くなるのが一般的だ。なぜなら、組織内で広く高い影響力を持つには必要不可欠な要素であるからである。

しかし、個人キャリアと組織キャリアを並行して築いている分には問題ないが、組織キャリアのみに傾倒していると、組織が傾いた際に非常に困った事態に陥ることになりがちである。ゆえに「自己管理型のキャリア形成」が非常に重要になると考えられる。

【産休・育休】

組織キャリアを築く上でとかく問題視されがちなワードである。

制度として公に認められているものの、基本的に『取りづらい』というのが現状の様子。産休に関してはまだしも、現代日本において「育休」のハードルは依然として高い。特に男性が「育休」を取得するという点は個人的に存在を疑うレベルである。

いずれにせよ、制度として認めていながらも組織キャリアとしての「育休」は、良くて「中断」、悪くすると「脱落」と判断されるだろうか?

議論が進む話でもあるが、現実としては決着がつきにくいキーワードでもある。

【リアリティショック】

「リアリティショック」は組織参入後に直面する、期待と現実の摩擦、衝撃・・・『こんなはずじゃなかった』と新入社員がよくぶち当たって、たまに『ペキッ』といっちゃって帰ってこなくなるやつである。

だが実はこれ、印象として若年層では帰還率がそれなりに高いが、年齢が高くなると非常に厳しくなるようだ。理由は、次の「イニシエーション」と関連する。

【イニシエーション】

「イニシエーション」は、社会でいう「通過儀礼」「加入儀礼」なのだが、組織においてもこれは頻繁に起きる。イニシエーションをどう乗り越えるかという点がとても重要だ。

・年齢が高いとタスクイニシエーション(加入儀礼)が困難

業務そのものになじむプロセスで、部署移動などが起きた際に新しい業務に適応するのが難しい、など。

前の職務に浸り過ぎるほど弊害が出る様子。望むらくは経験を適度に生かしつつ、新しい部署で他の人間に協力を求めると吉。下手すると無能のレベルまで逆に昇華して組織キャリアの危機に陥る。ベテラン社員が、ITスキルを求められるような仕事に就くと悲惨な状況が生まれやすい。せめて、人を使って業務を推進するならまだしも、個人に求められるときつい。

・年齢が若いとグループイニシエーション(通過儀礼)が困難

業務云々よりも、社会進出の初期、組織への忠誠心や協調性を最初にどのような形で示せるかという問題。若手社員がイニシエーションをどうくぐり抜けるかは、キャリア上大きなポイントとなる。

個人的観点から推察するに、理想と個人的能力の両方が高い人ほど、ここでこじらせやすい気がする。恭順の猫かぶりぐらいの腹芸が出来ないと組織生活は辛い。だから、理想に燃える新人など「鴨がネギしょって来た」くらいに見事にハマることが多い。

【ガラスの天井】

資質又は成果にかかわらず、属性が原因で組織内での昇進を妨げる、見えないが打ち破れない障壁 。

主に女性管理職の登用や学歴差による昇進差など、能力とは無関係な属性によってもたらされる差別的限界である。

組織といわず、社会的なキャリア形成にも非常に影響があることだと考えられる。

日本でもそうだが、世界的に見てもこの問題はいまだ根深い課題であることは間違いないであろう。

アメリカ大統領選挙、ヒラリー・クリントン候補の敗北後スピーチでも出てきた印象的なワードでもある。

彼女への個人的評価は差し控えるが、スピーチの内容は一見の価値があるものであったと思う。興味があれば是非ご一読願いたい。

日経ウーマン「ヒラリー・クリントン敗北宣言」

【ピーターの法則】

「人はそれぞれ無能のレベルに達するまで昇進する」という、特に上層部が嫌がる話。

耳が痛いし、詳細は長くなるので割愛するが、その対処方法としてメンタリングやコーチングが一策になると考えられる。

【エンパワーメントの促進】

ここでのエンパワーメントは「権限付与」を意味する。

某スーパーマーケットでは現場に権限を委譲することにより、より高いパフォーマンスを発揮させているという事例もある。これは「アカウントアビリティ(説明責任=自らの仕事に対し責任を負う)」の高さの証明であり、組織循環や学習する組織としても大変有用に考えられる。ある側面、キャリア形成を促す意味でも有用ではないだろうか。

【人材の「型」】

一般的に、ビジネスの世界で求められる人材を以下のように定義する考え方があるようだ。これは私が個人的に調べた内容である。

  1. T型人材・・・ひとつの専門分野に加えて、幅広い知識を持つ人材
  2. H型人材・・・強い専門性が1つあり、他の人の専門性と繋ぐ横棒を持ち、ほかの人とつながってHになるという“人と繋がりやすい”人材
  3. Π(パイ)型人材・・・幅広い知識を持ちつつ、2つの専門分野を兼ね備えた人材
  4. Δ(デルタ)型人材・・・3つの専門分野を兼ね備えた人材、幅広い知識は特に必要なし
  5. I型人材・・・ひとつの分野を掘り下げ、専門知識を持つ人材(スペシャリスト)

長年仕事に携わっていると⑤のI型になりやすい(〇〇一筋何十年など)、少し前までは①のT型人材がトレンドだったようだが、最近は特に②のH型が求められているという。

非常に興味深いのは、②のH型の重要性が他社との関係性を重視している人材であり、個人で完結していないという点だろう。②を除く①~⑤の人材は自己完結型である。だが、②のH型は他とつながれる=他者を常に意識しているのだ。つまり、つながる環境を形成、もしくは発見する能力があるということになる。

また、このH型人材、言うは易しだが、実際に実現しようとするとこれは中々骨が折れることである。

専門性を持った他者とつながるには、同等と言わないまでもそれなりに高い、相手と同じ専門性を持つ必要があるからである。そういった意味では、③④のΠ型Δ型人材は専門性さえ合致さえすれば、T型よりはハードルが低いといえるだろう。

総括すると、現社会で求められているのは最低でもH型、望みうるならΠ型もしくはΔ型でありながら、H型の特性を持った、複合型であるΠH型もしくはΔH型といったところであろうか。

 

第3節:「我が身を振り返り」

私の置かれている環境も、さほど現代のキャリア形成の在り方と変わりはない。典型的な「自己管理型」である。

一応、考課表の中には必須項目として「自己学習」が設けられており、達成しなければ査定に響くようなシステムが取られている。また、特定分野ならば通信教育を受講出来るようにも整えられている。

が、これがまた面白いほどに機能していない。

ここでその原因をいくつか挙げてみよう。

・自己学習の評価基準が曖昧であり、半ば形骸化している。

・考課表の裁定に対する影響が少ないため達成するメリット、未達成のデメリットが失われている。

・現場第一主義なので、現場が回ってさえすれば一切の追求がない。

原因の一端には、「自己キャリア形成」が重要とタテマエでは言いながらも、ホンネでは「組織キャリアが重要視される文化」が残っていることにあると推測される。

弊社の現場責任者の多くは個人キャリアではなく、長い間組織キャリア形成のみに傾倒して昇進をしてきた者たちばかりだ。そして、考課表の評価者はその現場責任者がその多くを担うことになる。

その結果、生まれたのは「自己管理型キャリア形成」など意に介さない、偏ったスキルのみを持つ特定環境下でのみ有能なスペシャリストたちである。

俯瞰してみるといびつなことこの上ない人材の集まりであるが、会社を回す上ではなんら支障がなかったためにこれまで問題とならなかった。

そう、会社が傾くまでは

弊社は傾いた。

言い逃れが出来ないレベルで傾いた。その結果、悲惨な現状が顕在化し、「身の振りようがない人間」が多数生まれたのである。

弊社が傾いた際に提示したプランは2つ。

・大手への吸収合併

・早期退職者制度の実施

要は身売りと人員整理である。

そこで社員が取りうる手段は「辞める」か「辞めない」かの2つであった。

本件の経緯は割愛するが、ここで問題となったのは「身の振りようがない」社員が多数いたことである。

組織キャリアのみに傾倒した結果、最善を望み、最悪に備える選択肢を作ってこなかった。なんら有用な選択肢を持たず、わずかばかりの退職金を貰って退職する者、会社に苦渋の決断で残留する者が多数発生することとなった。

この結果を読んでいただければ「キャリア形成の失敗」のリスクがどれだけ手痛いものか、お分かりいただけるだろう。

今更の話であるが、「組織は守ってくれない」という現実をまざまざと見せつけられた話でもあった。

 

第4節:「まとめ」

今回の勉強会の中で、ある方がおっしゃっていたことが強く頭の中に残っている。

「自分だけの武器を持ちなさい。組織にとってどうとでもなるような人材にだけはなってはいけない。そうでなければ不安定化した状況の中で、仕事を続けられなくなる」

蓋し金言である。

目まぐるしく社会が変化していくのは今に始まったことではないにしろ、多くの技術革新や、不安定化した政治情勢がいかなる化学反応を起こして、いついかなる時に自分の環境を一変させるかも分からない世の中である。

そういう観点から考えると「キャリア」というものは、社会に対して個人が持ち得る最大の武器かもしれない。

最後に、私の個人的見解ではあるが、「正しいキャリア」を築いた安定した人材は、組織、ひいては、社会においても「救いとなる存在」ではないかと思う。

安定した存在は、その存在をもって荒れた環境であっても安定化させる力=影響力があると考えるからである。

だからこそ私は影響力を持つに至る「キャリア」をなんとか残したいと考えている。

まずは最初に、中間目標としてはH型人材。そして、最終目標としては、最低でもΠ型、出来ればΔ型である。

これを10年で形にしたい。

不安定な時代に「輝ける人材」になりたい ―― 密かな願望ではあるが、そういった私の目標・熱意が、より良い未来を形づくる礎の一端になればと、切に願うばかりである。

(以上、N)

【セミナーレポート】2017年8月「組織変革」

※下記の文章は、弊社主催「組織勉強会」の参加メンバーによる自主的なレポートです。文言等は修正せず、そのまま記載しております。

組織勉強会レポート

■日 時:平成29年8月30日(水)19時15分~21時15分@福岡市内会議室
■テーマ:「組織変革」
参加者:異業種から6名

第1節:「人を動かすにはどうしたらよいか?」

まずは上記キーワードに対して、メンバー皆で思い浮かぶことを口々に列挙していく。

手法という観点ではなく、要素という意味合い。

「人が動くときはどういう時なのか?」という点も加味して考えた方が、理解しやすいかもしれない。ちなみに個人的なベストワードは、『愛』だ。

なんだろう、とても素敵な言葉である。だが、残念ながら、組織で愛を持ちだしたら特定宗教法人のお話になるのでこちらは神棚に飾っておこう。合掌。

以下に、興味深いキーワードをいくつか列挙する。

『モチベーション』

仕事におけるパフォーマンスを左右する不滅のスタメンワード。要はモチベーションを高い状態にしておけば、人は動き人財になるというお話。逆も然りで、モチベーションが低いとあらゆるパフォーマンスが低下して人罪に堕ちる。故に相手の状況を認識して、上手く高いモチベーションを保持している状態に誘導出来るのが理想である(が、ここが一番難しい)。

『きれいごと』

一般的には蔑んだ意味合いで使われる言葉であるが、組織の『きれいごと』は、それとは意味合いが違うように思える。個人のきれいごとは、その結果は個人に帰すだけであるが、組織のきれいごとは信用に関わる問題である。その影響力の大きさや、実現性、有益性など、言葉と実状が乖離している点が多々あり面白い点ではないだろうか?

ちなみに私見ではあるが、私は「きれいごと=建前」という認識を抱いており、建前をないがしろにする人間は信用に値しないと考えている。建前があるから我々は自分の権利を声高に主張し、為政者の不実を弾劾できるのだ。

そのほか、類似したもので大義名分もあげられた。間違っていないとお墨付きを貰えれば人間はなんとも大胆なことも出来るものである。正しいという思い込みでない限りはこちらも大変有用であると考える。

『強迫観念』

言葉は黒いが、要は心理的な要素ということである。

例えば「責任感」。組織において責任ある配置につければ、つけられた当人は責任を全うするために否応なく動かざるをえなくなる。責任を果たさなければ評価は下がり、無能の誹りを免れないという強迫観念が生まれるからだ。

もしくは、「返報性」。人からなにかしてもらったら、自分もなにか返さなくてはいけないという心理だ。どこぞの王侯貴族様で、尽くされるのが当たり前であるという身分でないなら、大小の差はあれ、誰しもが何かしらで体感しているものだろう。もう少し分かりやすく噛み砕くと、「借りは返さなければいけない」という強迫観念が人を動かすということだ。

『欲求』

承認欲求であれ、貢献欲求であれ、求めているものを鼻先に餌をぶら下げれば、対象を動かすことが出来るというお話。どのような形であれ、人間というものは欲求には抗えないように出来ているからである(抵抗は出来る。ただそれすらも欲求ではないかという罠)。

相手の求めるところを知り、しかるべき餌さえ用意できれば、人を導くことは決して難しいことではない。

『影響力』

単純に権限という観点でもよいし、相手との関係性を築けているという点でもよいかと考えられる。自分の影響力をきっちりと認識して、誤らずに使うことが出来れば人を動かすには最適であると考えられる。

私見だが、世にいう出世している人間というのはここをきっちりと抑えられている人間であると考えられる(逆を言えば、自らの影響力を把握していないと、手痛い目にあうのではないかと考えられる)。

 

第2節:「マージナルマン(Marginal Man)の重要性について」

上記の内容「人を動かすにはどうしたらよいか?」というお題について話す中で、さらに興味深い話が出てきた。

マージナルマンについてである。

一般的な意味は、検索すると以下の通りである。

『マージナルマン・・・互いに異質な二つの社会・文化集団の境界に位置し、その両方の影響を受けながら、いずれにも完全に帰属できない人間のこと。社会的には被差別者、思想においては創造的人間となりうる。境界人』

が、組織におけるマージナルマンとは少し、意味合いが違う使い方をする。

組織におけるマージナルマンとは価値観層や段階的組織構造(ヒエラルキー)において、断絶されている層同士をつなぐ役割を持ったキーマン(触媒者)といった意味合いであるという。

では、具体的にこの「つなぐ」ということはどういうことか?

①価値観層とは世代ごとに持つ価値観の層である。
(例)10代の価値観、20代の価値観、30代の価値観~
この層は横型断層になっており基本的に交わらないと考える。

 

②その価値観層が営利組織等に適用されると、縦の階層が出来上がることとなる。
(例)上層部(社長、部長)中間管理職(課長、係長)主任、平社員~

③結果、以下のような図が会社組織における価値観として出来上がると考えられる。

 

上記のような図式で行くと問題となるのが、断層を隔てることによるお互いの認識のずれ、この場合は互いの階層を理解していない無理解の状態が生まれるということである。

組織を動かす(変革的な意味合いも含め)上で、重要になるのは「お互いの理解」である。

ここでは価値観層という形で表しているが、その価値観層が末端(現場)と上層部(経営層)で見えていない状況は、人を動かす上で致命的な齟齬を生み出す要因であると考えるのだ。

(図Cの影響力は理解を促すものではない点に注意。影響力は組織内の強制力(命令権)の強弱を表したものであり、基本的には上から下への(無理解状態での)一方通行である。極端な一例を上げると、『20代一般社員は、60代上層部の一方的な価値観による経営方針により、よく分からない仕事をただただ実行しているだけ』という構図が発生する)

そこで、重要な役割を果たす存在こそが、「マージナルマン」であるというのだ。

このマージナルマンとは具体的にいうと、階層の中層、中間管理職に位置する30代後半から40代前半あたりの人々のこと指すのだという。

会社組織は砂の城であると考えるとわかりやすいかもしれない。砂の城が崩れないようにするために必要なことは何か?

それは、適度な水(=情報)を与えてその強度を保持することだ。

この役割の難しいところは、水(=情報)を与え過ぎてもいけないし、与えなさ過ぎてもいけないという点だろう。多くても、少なくても城が崩れてしまうからだ。

舞台の主役は「マージナルマン」。

そう、マージナルマンが馬車馬のごとく、上と下を行き来し、主体となって会社組織に絶えず適量の水(=情報)を流し続けているという話なのだ。

彼らの重要性は上記述べた通り、層と層、つまり、上層と下層をつなぐという点であり、組織における階層間の無理解状態を解消し、相互理解を促し、組織の潤滑油的存在を担う点であるという。

つまり、彼らの働き如何で組織全体が上下する、いや、瓦解するといっても過言ではないだろう。組織においてその影響力は無視しえないものであるということなのだ。

実に興味深い話であった。

第3節:「我が身を振り返る」

組織変革という言葉に、現在、私が所属する会社は非常に敏感になっている。理由はただ一つ、私の会社も組織変革を断行中であるからである。

具体的に述べると、弊社は事業計画の失敗から大きく業績を落とし、現在は事業再建を急務としなければいけない状況に陥っている。

そこで会社が掲げた手段は
・全国展開している同系会社との経営統合
・新人事制度導入
・早期退職制度の提示
以上の3つである。

上層部が遂に決断に踏み切ったのである。

劇薬である。患部を治癒する代わりに、他に激烈な代償を要求する劇薬であると断言してよいだろう。

その証拠に激烈な抵抗が社内では発生している。

以下に抵抗勢力の派閥を記載しよう。

  • 早期退職制度の対象であり、いわいる『リストラ』の対象とされた一派
  • 早期退職制度の対象外であるが、人事制度の適用により、職位と給与が脅かされている一派
  • 組織改革による内部の不安定化により、会社への信頼を失い、会社自体からの離反を模索している一派

変革における抵抗は上層部も想定済みであることから、無論、無策というわけではない。①に対しては退職金の明確な水増し、②に対してはいくばくかの内々での約束など、小賢しいといっては失礼にあたるだろうが、少々の手練手管は使っている様子である。

だが、あえて言わせていただこう。

「小賢しい」と。

上層部は抵抗勢力への危機意識が薄すぎた。抵抗勢力を甘く見積もり、小手先の皮算用が過ぎ、リスクマネジメントが疎かだったのである。

まず、①への対策が不十分過ぎる。①の対象者に関してはすでに語る言葉はない。大なり小なり恨みを買うことは確実なのだから。

問題は①の対象者を出したことにより、その他へ不信の種が蒔かれたことである。対象者以外の胸にあるのは「明日は我が身」である。水がなければ育たない?今の状況がなにもしなくても立派に育ててくれる。①の対象者も率先して周囲の機運を育ててくれることであろう。

次に②への対策。これも失敗している。諸々の情報開示が一切行われていないのである。個々に対していくばくかの言葉は語っているようだが、所詮は公式に出された言葉ではない以上、「後でそんなことは言っていない」といえばそれまでの話である。①で育まれた不振の芽が芽吹き、花を咲かせるのを促進しているようにしか見えない。

この状況下で「君だけは特別だ」なんて言葉を信じられる人間は、底抜けにお人好しか、頭の中が一面お花畑のお目出度い輩であるだろう。

最後に、上記二つを目の当たりにする③の胸中はいかがなものだろうか?

答えるのもばかばかしい限りである。会社組織を腐らせ、殺す。そう、死に至る病の『不信』が最後に生まれ落ちるのだ。

今回、上層部が怠ったのはなにか?

あらゆるコミュニケーションである。言葉であれ、意志であれ、惜しむべきものでないものを惜しんだのだ。

抵抗を克服するための手段がいくら存在しようと、基盤となる大前提を無理解にないがしろにしたのである。

私は、「話せば理解し合える」などと青臭いことをいうつもりはない。

理解し合えない人間は明確に存在するし、有限な人生の中でそんな相手と理解し合うために貴重な人生の時間を費やすことが、どれほど愚かしいことか重々理解している。

だからこそ、上層部を糾弾したい。

「人を動かすのはなにか?」ということを何故、理解し得ず、手段を誤ったのかと。

変革は人を動かすことである。人が動かねば変革など成しえないのだ。

恐らく、近い将来、弊社はその『ツケ』を払わされることになるだろう。

残るも地獄、出るも地獄、頭の痛い日々である・・・。

 

第4節:【振り返り】

今回の議題は大いに身につまされるものであった。

そして、私は自分の会社において、何が問題であったのかを考えた。

第3節で上層部の軽率な変革を少々(?)なじりはしたが、私は基本的に上層部の判断が誤っていたとは考えていない。

「おい、コラ」なんて突っ込みがありそうだが、私は変革のプロセスのずさんさに腹立が立っただけなのである。

何故なら、業績の悪化は隠されてはいなかったからである。会社は社内において、業績を明確に掲示していた。つまり、会社の財務状況を我々社員は容易に知ることが出来たということである。そう、変革が必要であることは、冷静な目で会社を見ることが出来ていれば、避けられない事態であったのは明白であったのだ。

ならば、『現在の状況の責任は誰にあるのか?』という問いがあるとすれば、『鏡の前に立って目を開ければ分かる』としか言いようがないのが事実である。辛辣なこと言わせてもらえば、会社全体が自体を軽んじ、何の根拠もない会社の安寧を幻想していたのだ。

それでは、我々に足りなかったのはなにか?

現実を現実として直視すること。

そして、今回の話の中でいうならば文句無しに「マージナルマン」の存在であるだろう。第2節で語ったマージナルマンという存在は、決して容易に存在するものではない。マージナルマンという存在は『稀有』なのである。理由は簡単、マージナルマンとなる人材は忙しいからだ。

マージナルマンの役割、もしくは、必須条件とは経営層と現場、両者の意思と理解を明確に把握し、なおかつ、両者に互いの意思と理解を過たず伝達させられる能力である。

そんな人材が会社にゴロゴロいるだろうか?いるとしたら第一線で働いている有能で多忙な人材であるが、そんな人材がそう暇なわけがない。

ただでさえ忙しい中、そんな役割をこなしているなんていう人間は少数なのである。だが、忙しいからといって、その役割を担う「マージナルマン」を欠くとどうなるか。

それが、おそらく今回、弊社で起きていることのおおよその原因だ。

上と下をつなぐものがおらず、お互いへの無配慮と無理解が変革を阻害し、会社の未来に影を差す。

会社は意図して「マージナルマン」を生み出さなければならなかったのである。ゆえに私は、「マージナルマンになること」を今後の目標としようと思う。

同じ失敗を今後繰り返さないために。

 

今回のレポートを終え、頭に思い浮かんだ言葉があったのでここに記載しておこうと思う。

山本五十六氏の有名な言葉である。

『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』

『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず』

『やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』

以上(N)

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【セミナーレポート】2017年6月「組織文化」

※下記の文章は、弊社主催「組織勉強会」の参加メンバーによる自主的なレポートです。文言等は修正せず、そのまま記載しております。


組織勉強会レポート

■日 時:平成29年6月29日(水)@福岡市内某所会議室
■テーマ:「組織文化について」
■参加者:
〇I氏:若きアドラー
性善説を地で行く若き俊英。個性派極まる勉強会メンバーを導くコンダクター。そう考えると、ある意味一番恐ろしい人物である。

〇K氏(OA機器業界):平成のガンジー
その語りは心の深淵を覗き込む。もちろん宗教家ではないが、たまに入信したくなることも?

〇T氏(ロジスティクス業界):隠れていない秘密兵器
多芸多才、その知識とバイタリティーは常々舌を巻く。
理論武装した、上層部泣かせのワンマンアーミー。

〇F氏(システム開発業界):明哲なるエマソン
俯瞰した視点を持つ哲人。
その知識欲や豊富な見識は際立っており、未だその懐は見えない恐ろしい方。

〇N(ソフトウェア販売業界・本レポート作成者):自他ともに認める「社畜」(?)
平々凡々たる無害な一般人。『NO MORE 社畜』、響け社畜の詩。

 

組織勉強会とはなにか?

組織勉強会は、明りのつけ方を学ぶ場である。

想像してほしい。

時刻は真夜中、明りなど何もない暗闇だ。
あなたの所属している組織・会社は家である。
家には明かりがついていない。

あなたが最初にすべきことはなにか?

最善は明かりをつけることだ
どれだけ勝手知ったる家でも、暗闇の中ではすべてに対処は出来ない。
外から泥棒が入り込んでいるかもしれないし、長年の老朽化で注意しなければいけない場所が発生しているかもしれない。

だが、明りをつければどうだろうか?
何か潜んでいれば気が付くだろうし、些細な変化であっても、目に見える分、幾分かは早く事態に対処できる
そして、何よりも足元がおぼつくことがない。

波乱に満ちた社会人ライフの確かな一歩を手助けしてくれる学びの場、それこそ組織勉強会である。

※あくまで個人の見解です(公式見解ではありません)

 

組織文化とは?

組織文化とは一体何なのか?

極端な言い方かもしれないが、それは『組織の取扱説明書(ローカルルール版)』ではないだろうか?

何故そのように感じたかというと、組織文化は非常に独特なものである。エピソード・シンボル・儀式・言語など、まず、関係者でないと理解できないことが多く、例えるなら閉鎖的な農村と通じるものがある。

しかし、逆に言えば、組織文化を理解し、自分も同郷であるとアピール出来れば、そういった場合、案外すんなりと受け入れてくれるものでもある。

【例:ある会合の席にて】
「あんた、なして、そげんこと知っとると?(あなたはなぜそのようなことをご存じなのか?)」

「そりゃ、同じ里ですもん(私も同じ郷里なのです)。○○村のNんとこの次男坊です」

「ほんなこつね?(本当ですか?)」

「ほんなこつです(本当です)」

「はよ言わんね(早く言いなさいよ)!遠くに座らんで(座ってないで)、こっちにきいや(来なさいよ)」

※上記のやり取りはイメージです。方言の使い方に関しては広い心でご理解願います。

少々分かりにくいかもしれないが、要は、組織文化を知っていれば上記のようなやり取りが可能になり、身内として受け入れられ色々と動きやすくなるということだ。

会社(組織)とは近くて遠い異国のようなものだ。いかに近隣であろうと、異国は異国、その国独自の文化と法が存在する。そして、どの規模の組織でもよそ者の肩身は狭く、身内には甘くなるのが人の常、組織文化を学ぶことは組織にとけこむ最良の方法ではないだろうか

正直、この『取扱説明書(ローカルルール版)』を知っているのと知らないのとでは、組織内での動きやすさがはるかに違ってくると思う。

好き嫌いの感情が介入する余地のない、客観的に組織のルールを表した『取扱説明書』。それが組織文化だと私は考える。

故に最初によく目を通して理解しておかなければけないはずの取扱説明書、それが『組織文化』ではないだろうか。

私は本勉強会で、今一度、この非常に重要な『取扱説明書(組織文化)』を読み解く必要があると再認識させられた。

 

私が勤める会社について

少し前提・補足説明を行う。

私が勤める会社は2年前に発足したとある中小企業A・Bの合弁会社である。社員の構成比率としては、A社より1割(重役陣)、B社より7割、新規雇用で2割。

したがって、現場の過半数を占める人員を擁する元B社社員(全員転籍組である)の組織文化(特性として『安定性』が非常に強い)が色濃く残っている。

しかし、合弁会社の事業はA社主導であり、社長に就任したZ氏はA社所属で、これまでに別地域の同系会社で社長職を務め、実績を上げた人物である。また、私見ではあるが、社長はB社の組織文化には懐疑的であり、それを半ば継承したような働き方を見せる元B社社員たちには、否定的といってよい姿勢をとっている人物である。

このような状況から、良く言えばまだ歴史が浅く、組織文化はまだ形成しきれていな状況である。悪く言えば、経営層と現場のそれぞれに、以前の会社の組織文化が存在して混沌とした状況を呈している。つまり、社内は組織文化的に乖離(かいり)しているといってよい状況ではないかと考える。

ここで、組織文化の話に戻って考えてみたい。

組織文化の創出について、当社に創業者の理念や哲学は存在しないように思う。

当社の合弁設立はA社・B社の経済的利益の合意によって決まったことであり、社長に就任したZ氏は『利益は社員に還元する』ということをモットーとした人物であるが、両者の優先条件がとにかく利益を出すという点であるから、理念や哲学とはある意味ほど遠いと考えられる。

Z氏のモットーは哲学とも見てとれないことはないが、Z氏はA社の出向である。社内的には創業者という位置付にはない。また、元B社社員が人員の半数以上を占めることから、社員の扱いに苦慮しているというのが現実であり、現場の基幹を成す社員が、自ら選んだのではなく転籍を余儀なくされた(転籍組)という点から、オーソドックスな組織文化を生み出す要素は薄いといえるだろう。

あえて組織文化傾向としてあげるのならば、親会社の主旨と、総責任者たるZ氏のモットーから判断するに、当社は利益第一主義、組織文化として見るならば『結果志向』がとても強いということになるだろう。

そして、この『結果志向』の特性は、B社で育まれた転籍組の『安定性』が強い組織文化にはあまり馴染まないようで、非常に弱い組織文化の形成=組織文化が顕在化していない状況になっていると考えられる。

これは如実に結果として表れているといってよいだろう。なぜならば新会社で雇用したA社・B社の手垢のついていない新規社員(中途採用含む)が次々と退職していくことが、問題として起こっているからだ。組織文化の観点で考えれば、社会化に失敗しているということであろう。

しかし、現状はマイナス面ばかりではない。組織文化の変革(当社としては発芽だろうか?)の要素も持ち合わせている。

①劇的な危機が存在し、共通認識として組織全体が捉えられている点
②設立して日の浅い組織なので新しい価値観を取り入れやすい点
③弱い文化(文化が台頭していない状況)なので変革が受け入れやすいであろう点

上記条件、変革の種をまく土壌は少なくとも存在していると認識している。今後の課題は上記の点から、いかに、組織とそこで働く人たちがサバイバルしていけるだけの組織文化を変革し、醸造していくかだろう。

私Nは、以上のような考えを念頭に置きながら、社長のZ氏や上長とのやり取りの中で組織に対して貢献していけるかを考えて、実践していきたい。

 

振り返り 聞いて学んでetc…

面白いことに、参加メンバーの話を聞く中で「会社に組織文化が生まれないケースもある」という話が出た。これは一体どういうケースかというと、いわいる『利益至上主義』である組織だ。

少しブラックな話ではあるが、使い勝手がよく長く安いコストの社員を集める傾向にある会社は文化が創出されることはなく、見込みも薄いという話。同じ傾向の人間が集まっても文化は生まれないこともあるという一例である。

当然といえば当然だが、離職率は高い。
ちなみにこの問題はなんだろうか?

おそらくは『精神性』が大きく関係していると私は考える。
利潤と精神性の両立は難しい。多くの企業にとってそれは大きな課題の1つであろう。

そして、多くの企業にとって優先すべきは利潤であり、多くの会社社員は精神性を会社に求めつつも、現実ベースに仕事を捉えて、精神性というものを見て見ぬふりをしてしまうのではないだろうか?

かくいう私も、その一人であったろう。

人間というものは時として近視眼的なものの見方をすることがよくある。
私も利潤の追求という大きな目標を前に、「精神性などしょせんは夢物語でしかない」という風に昔は思い込んでいたものである。

だが、数が多いとは言い難いが、両立に成功している会社は存在しているという。そう、存在しているのだ。

そして、両立の結果、生産性の向上や離職率の低下など、企業として歓迎すべき結果が生まれているとの研究結果も出ているという。

もちろん、このような結果が生み出される過程には多大なエネルギーと時間が必要であり、望んだからといってすぐに手に入るような類ものはないだろう。

しかし、だ。

難しいからと行わないというのであれば、そもそも、企業活動などするなという話だ

私は、人が組織を作るのは、個人では越えられない壁を超えるためだと考えている。個人で行うには何事にも限界があると考えるからだ。

だが、組織は違う。

個人の限界を超え、組織であることは、単純な足し算ではなく、掛け算、いや、複雑な方程式をへて個人では生み出せない莫大なエネルギーを生み出せるものだと考えている。

そう、壁を突き崩すほどのエネルギーだ。

私はそびえ立つ壁を突き崩すための力が欲しい。だが、一人では無理である。だから、まずは種を蒔こうと思う。

先達がいるのだ。お手本がいるのだ。難しいが無理ではないことは立証済みなのだから、種を蒔くための第一歩、声をあげて意思を表明していくこと。それを今後、着実に実行していきたいと思う。

以上(N)

セミナーの企画プロセス②

テーマの設定

場の構想とデザインを踏まえて打ち合わせを実施したところ、毎回の議論や対話をより促すために、組織にまつわるテーマを設定する必要があるだろうというアイデアが出ました。それと同時に、組織について体系的に学べるような内容であれば、なお良いという結論にいたりました。

つまり、理論的な知識や新しい情報を前提として押さえ、それを基にして自他の組織について話をし、考えを深めることでより実践的な気づきが得られるだろうという仮説を立てました。

毎回のテーマに沿った話を進めることで、やみくもに議論をするよりも効率的に進行できます。また、テーマがない場合はともするとただの愚痴や話しっぱなしで終わるため、振り返りや今後の具体的な行動には結びつきにくくなります。したがって、身近に感じられるテーマという柱を用意することで、「より有意義な学習効果を得る」ための設計を施したということになります。

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