※下記の文章は、弊社主催「組織勉強会」の参加メンバーによる自主的なレポートです。文言等は修正せず、そのまま記載しております。
組織勉強会レポート
■日 時:平成29年6月29日(水)@福岡市内某所会議室
■テーマ:「組織文化について」
■参加者:
〇I氏:若きアドラー
性善説を地で行く若き俊英。個性派極まる勉強会メンバーを導くコンダクター。そう考えると、ある意味一番恐ろしい人物である。
〇K氏(OA機器業界):平成のガンジー
その語りは心の深淵を覗き込む。もちろん宗教家ではないが、たまに入信したくなることも?
〇T氏(ロジスティクス業界):隠れていない秘密兵器
多芸多才、その知識とバイタリティーは常々舌を巻く。
理論武装した、上層部泣かせのワンマンアーミー。
〇F氏(システム開発業界):明哲なるエマソン
俯瞰した視点を持つ哲人。
その知識欲や豊富な見識は際立っており、未だその懐は見えない恐ろしい方。
〇N(ソフトウェア販売業界・本レポート作成者):自他ともに認める「社畜」(?)
平々凡々たる無害な一般人。『NO MORE 社畜』、響け社畜の詩。
組織勉強会とはなにか?
組織勉強会は、明りのつけ方を学ぶ場である。
想像してほしい。
時刻は真夜中、明りなど何もない暗闇だ。
あなたの所属している組織・会社は家である。
家には明かりがついていない。
あなたが最初にすべきことはなにか?
最善は明かりをつけることだ。
どれだけ勝手知ったる家でも、暗闇の中ではすべてに対処は出来ない。
外から泥棒が入り込んでいるかもしれないし、長年の老朽化で注意しなければいけない場所が発生しているかもしれない。
だが、明りをつければどうだろうか?
何か潜んでいれば気が付くだろうし、些細な変化であっても、目に見える分、幾分かは早く事態に対処できる。
そして、何よりも足元がおぼつくことがない。
波乱に満ちた社会人ライフの確かな一歩を手助けしてくれる学びの場、それこそ組織勉強会である。
※あくまで個人の見解です(公式見解ではありません)
組織文化とは?
組織文化とは一体何なのか?
極端な言い方かもしれないが、それは『組織の取扱説明書(ローカルルール版)』ではないだろうか?
何故そのように感じたかというと、組織文化は非常に独特なものである。エピソード・シンボル・儀式・言語など、まず、関係者でないと理解できないことが多く、例えるなら閉鎖的な農村と通じるものがある。
しかし、逆に言えば、組織文化を理解し、自分も同郷であるとアピール出来れば、そういった場合、案外すんなりと受け入れてくれるものでもある。
【例:ある会合の席にて】
「あんた、なして、そげんこと知っとると?(あなたはなぜそのようなことをご存じなのか?)」
「そりゃ、同じ里ですもん(私も同じ郷里なのです)。○○村のNんとこの次男坊です」
「ほんなこつね?(本当ですか?)」
「ほんなこつです(本当です)」
「はよ言わんね(早く言いなさいよ)!遠くに座らんで(座ってないで)、こっちにきいや(来なさいよ)」
※上記のやり取りはイメージです。方言の使い方に関しては広い心でご理解願います。
少々分かりにくいかもしれないが、要は、組織文化を知っていれば上記のようなやり取りが可能になり、身内として受け入れられ色々と動きやすくなるということだ。
会社(組織)とは近くて遠い異国のようなものだ。いかに近隣であろうと、異国は異国、その国独自の文化と法が存在する。そして、どの規模の組織でもよそ者の肩身は狭く、身内には甘くなるのが人の常、組織文化を学ぶことは組織にとけこむ最良の方法ではないだろうか。
正直、この『取扱説明書(ローカルルール版)』を知っているのと知らないのとでは、組織内での動きやすさがはるかに違ってくると思う。
好き嫌いの感情が介入する余地のない、客観的に組織のルールを表した『取扱説明書』。それが組織文化だと私は考える。
故に最初によく目を通して理解しておかなければけないはずの取扱説明書、それが『組織文化』ではないだろうか。
私は本勉強会で、今一度、この非常に重要な『取扱説明書(組織文化)』を読み解く必要があると再認識させられた。
私が勤める会社について
少し前提・補足説明を行う。
私が勤める会社は2年前に発足したとある中小企業A・Bの合弁会社である。社員の構成比率としては、A社より1割(重役陣)、B社より7割、新規雇用で2割。
したがって、現場の過半数を占める人員を擁する元B社社員(全員転籍組である)の組織文化(特性として『安定性』が非常に強い)が色濃く残っている。
しかし、合弁会社の事業はA社主導であり、社長に就任したZ氏はA社所属で、これまでに別地域の同系会社で社長職を務め、実績を上げた人物である。また、私見ではあるが、社長はB社の組織文化には懐疑的であり、それを半ば継承したような働き方を見せる元B社社員たちには、否定的といってよい姿勢をとっている人物である。
このような状況から、良く言えばまだ歴史が浅く、組織文化はまだ形成しきれていな状況である。悪く言えば、経営層と現場のそれぞれに、以前の会社の組織文化が存在して混沌とした状況を呈している。つまり、社内は組織文化的に乖離(かいり)しているといってよい状況ではないかと考える。
ここで、組織文化の話に戻って考えてみたい。
組織文化の創出について、当社に創業者の理念や哲学は存在しないように思う。
当社の合弁設立はA社・B社の経済的利益の合意によって決まったことであり、社長に就任したZ氏は『利益は社員に還元する』ということをモットーとした人物であるが、両者の優先条件がとにかく利益を出すという点であるから、理念や哲学とはある意味ほど遠いと考えられる。
Z氏のモットーは哲学とも見てとれないことはないが、Z氏はA社の出向である。社内的には創業者という位置付にはない。また、元B社社員が人員の半数以上を占めることから、社員の扱いに苦慮しているというのが現実であり、現場の基幹を成す社員が、自ら選んだのではなく転籍を余儀なくされた(転籍組)という点から、オーソドックスな組織文化を生み出す要素は薄いといえるだろう。
あえて組織文化傾向としてあげるのならば、親会社の主旨と、総責任者たるZ氏のモットーから判断するに、当社は利益第一主義、組織文化として見るならば『結果志向』がとても強いということになるだろう。
そして、この『結果志向』の特性は、B社で育まれた転籍組の『安定性』が強い組織文化にはあまり馴染まないようで、非常に弱い組織文化の形成=組織文化が顕在化していない状況になっていると考えられる。
これは如実に結果として表れているといってよいだろう。なぜならば新会社で雇用したA社・B社の手垢のついていない新規社員(中途採用含む)が次々と退職していくことが、問題として起こっているからだ。組織文化の観点で考えれば、社会化に失敗しているということであろう。
しかし、現状はマイナス面ばかりではない。組織文化の変革(当社としては発芽だろうか?)の要素も持ち合わせている。
①劇的な危機が存在し、共通認識として組織全体が捉えられている点
②設立して日の浅い組織なので新しい価値観を取り入れやすい点
③弱い文化(文化が台頭していない状況)なので変革が受け入れやすいであろう点
上記条件、変革の種をまく土壌は少なくとも存在していると認識している。今後の課題は上記の点から、いかに、組織とそこで働く人たちがサバイバルしていけるだけの組織文化を変革し、醸造していくかだろう。
私Nは、以上のような考えを念頭に置きながら、社長のZ氏や上長とのやり取りの中で組織に対して貢献していけるかを考えて、実践していきたい。
振り返り 聞いて学んでetc…
面白いことに、参加メンバーの話を聞く中で「会社に組織文化が生まれないケースもある」という話が出た。これは一体どういうケースかというと、いわいる『利益至上主義』である組織だ。
少しブラックな話ではあるが、使い勝手がよく長く安いコストの社員を集める傾向にある会社は文化が創出されることはなく、見込みも薄いという話。同じ傾向の人間が集まっても文化は生まれないこともあるという一例である。
当然といえば当然だが、離職率は高い。
ちなみにこの問題はなんだろうか?
おそらくは『精神性』が大きく関係していると私は考える。
利潤と精神性の両立は難しい。多くの企業にとってそれは大きな課題の1つであろう。
そして、多くの企業にとって優先すべきは利潤であり、多くの会社社員は精神性を会社に求めつつも、現実ベースに仕事を捉えて、精神性というものを見て見ぬふりをしてしまうのではないだろうか?
かくいう私も、その一人であったろう。
人間というものは時として近視眼的なものの見方をすることがよくある。
私も利潤の追求という大きな目標を前に、「精神性などしょせんは夢物語でしかない」という風に昔は思い込んでいたものである。
だが、数が多いとは言い難いが、両立に成功している会社は存在しているという。そう、存在しているのだ。
そして、両立の結果、生産性の向上や離職率の低下など、企業として歓迎すべき結果が生まれているとの研究結果も出ているという。
もちろん、このような結果が生み出される過程には多大なエネルギーと時間が必要であり、望んだからといってすぐに手に入るような類ものはないだろう。
しかし、だ。
難しいからと行わないというのであれば、そもそも、企業活動などするなという話だ。
私は、人が組織を作るのは、個人では越えられない壁を超えるためだと考えている。個人で行うには何事にも限界があると考えるからだ。
だが、組織は違う。
個人の限界を超え、組織であることは、単純な足し算ではなく、掛け算、いや、複雑な方程式をへて個人では生み出せない莫大なエネルギーを生み出せるものだと考えている。
そう、壁を突き崩すほどのエネルギーだ。
私はそびえ立つ壁を突き崩すための力が欲しい。だが、一人では無理である。だから、まずは種を蒔こうと思う。
先達がいるのだ。お手本がいるのだ。難しいが無理ではないことは立証済みなのだから、種を蒔くための第一歩、声をあげて意思を表明していくこと。それを今後、着実に実行していきたいと思う。
以上(N)